親に感謝できないことで自分を責め、心から楽になりたい方におすすめです。
親に感謝できなくて当たり前
この記事を読むと「母の日は憂鬱・怖い」「親に感謝できない私は悪い子」とあなたがむやみに思わなくて済むようになります。
毒親育ちさんにとって、母の日(父の日も)はとても苦しいものです。
なぜなら、「母の日なのに母親に感謝できない。私はなんて悪い子なんだろう。」と、改めて思わされる日だからなのです。
そう、世間が一丸となって、日本中の母親に感謝(そう見える)しているのに、です。
あなたも自分だけ取り残された気持ちになっていませんか?
親に感謝できない自分を責めてしまったりしていませんか?
安心してください。私もですし、世の中にたくさん同じ「親に感謝できない」という想いの同士がいます!
今回はそういった「親に感謝できない」「親に感謝しろという風潮に疑問がある」という想いを持っている方が肩の荷を下ろせる記事になっています。
母の日を冷静に見つめ直し、思考をすっきりと整理して、自分と母の日の立ち位置を理解し、距離を取っていきましょう。
この記事はあなたが無駄に「母の日は憂鬱・怖い」「親に感謝できない私は悪い子」と思わなくて済むことを目指していきます。
親に感謝できるものなら、もうとっくにしている
当たり前ですが、毒親育ちは親が「毒親」なのです。毒(支配や恐怖や危害)をぶつけられてきているのです。やはりここがポイントなのです。
人間は生身の生き物です。支配や恐怖や危害を与えてくる人に対して、警戒したり、嫌悪したり、怒りがわいたりするのは生き物として当たり前の反応ですよね。
それが「優しい時もある」だったとしても、です。
優しくされることもあるが、支配や恐怖や危害を与えてくる人物には
警戒、嫌悪、怒り、を(生き物として)持ち続けて正解なのです。
自分の命を守るために私たちの脳と体はそうなるようにできていますし、そうすることが正解なのです。
よって、毒親に感謝できなくて当たり前ですし、警戒などするのは自分を守ろうとしているので、良いことですらあると言えます。本当に。
命にとっては安心安全に生き抜くことが優先されていいのですから。
そもそも「感謝」とは?
そして、もう一つ大事なのが、感謝に対しての理解です
感謝という言葉の性質上、
「感謝というものは、強制的にさせられていいはずがない」
「感謝は、自分の心の奥底から自然と湧いてくるもの」だ
ということが当然の如く言えるのです。
これは案外ちゃんと定義できている人は少ないかもしれません。
毒親育ちさんは、幼少期から親に嫌な思いをさせられている
↓
感謝の気持ちが涌くはずない。(感謝は努力して涌いてくるのではなく、心が自然に思うこと)
↓
感謝しなくていい(感謝したくてもできないし)
この図式になりますね。
感謝される理由が毒親にはない
毒親育ちさんから見ると、「よい親に育てられた人」や「普通の親に育てられた人」は、とてつもなく羨ましいものです。
(毒親育ちさんにとっては「子どもに危害を加えないものの、よいこともしてくれない親」ですら、「普通の親」という定義です。親の定義が普通の人とは違います。ハードルが低いのです。)
毒親育ちさんの場合、(本来なら一番安全安心な)家の中にいるのに支配され、恐怖を感じ、危害も加えられ、体や心に、それも長期にわたって嫌な思いをさせられてきた経験があるからです。
それも、本来は守ってくれるはずのお母さん、お父さんから、です。
この心身へのダメージは、書ききれません。また次回以降、お話しします。お話しし続けていきます。
産んでもらったんだから感謝しなくてはいけない?
産んでもらったことに感謝しろという風潮も、苦しむ材料となります。
親に感謝できないことで責められ、罪悪感を植え付けられる毒親育ちさん
周りの人からこういったことを言われたことはないですか?
感謝したくないって言うけどね、あなた
命がけで産んでもらったんでしょう?
育ててもらったんでしょう?
十分感謝する理由があるのでは?
やっぱり親に感謝できないあなたが悪いのでは?
言われなかったとしても、「脳内の監視官」が、ずっとあなたにこう言ってるのではないですか?
やっぱりお前が悪い。
親に感謝できないなんて人間じゃない。
親はどんな親でも、親というだけで感謝されて当たり前。
あと、お前はみんなと違う。
それはダメだから。
ほらやっぱりお前はやっぱりダメ人間で、罪悪人だ。
ちょっと考えてみて下さい。
世間の声や脳内の声、これらは正しいと言えるのでしょうか?
いいえ、言えませんね。正しくないですよね。
このような意見が正しいという思い込みがあるならそれを捨てて下さいね。何の根拠もないのですから。
今日から、これら声が聞こえたら、従わないことです。聞く耳持たないことです。
「テレビや周りの人が、親に感謝しない私に罪悪感を植え付けようとしてくるけど、まったくその必要はない!私の気持ちは私の自由。誰の指図も受けません!」と、繰り返しきっぱりと自分に言い聞かせる=セルフトークすることです。
母の日は本来の意味からずれてきている
ちょっと違った視点から考えてみましょう。
問題を解いたり、悩みを解決するにはいつもと違った方向から考えるのが得策です。
母の日、その本来の意味合いを大切にするのであれば、それぞれの家庭でその家庭のやり方や伝統でやればいいということですよね。
母の日父の日は今や大きな市場
ですが、4月半ばから、こんなにもテレビやネット、街のいたるところの広告やお店のディスプレイで、
「母の日には〇〇」「○○をプレゼントしてお母さんに感謝をつたえよう!」「母の日キャンペーン!」という声があふれかえっています。
その影響で、職場の給湯室でも「母の日に、お母さんと義母に何を、いくらくらいのものをプレゼントをしておけば当たり障りないか」「去年は〇〇だったので、今年はどうしよう、悩む」という声が聞こえてきます。
そうです。大きなマーケットなんです。母の日も父の日も
「母の日に、お花を、バッグを、家電をプレゼント」「母の日に旅行をプレゼントしてお母さんにリラックスしてもらおう!」等々
自社商品を買ってもらうためです。
母の日父の日は「あなたはこの商品を買わなくてはならない。なぜなら・・・・・」を相手の脳内に密かにインプットしやすいし、理由を付けやすいのですよね。
そして、イメージです。
母の日父の日のキャンペーンなどで、優しいアットホームな感じを出せます。自社のイメージアップにもつながるのです。
こうやって世の中が回っているのだと思ったら、少し気が楽になりませんか?
「なあんだ、母の日父の日は商戦か。ビジネスか。ということは強制ではない。だったら、参加しようがどうしようが、そもそも自由だ」
親に感謝できないことで罪悪感を持たなくていいの?
親に感謝できなくても親や世間に対して罪悪感を抱かなくていい
親に感謝しないことで罪悪感を持つ必要はまったくありません。
あなたの心はあなたの自由なのです。
感謝を強制させられる筋合いはありません。誰からもです。
あなたの気持ちもお金も時間も労力も、使いたいところに使っていいのですし。
親に母の日や父の日ののプレゼントを贈ったり、感謝の言葉を伝えなくても当たり前のことです。
親が毒親だったのですから、当然の結果なのです。
メタ認知俯瞰して客観視してみると、「当然の結果=論理的結末である」と言ってもいいでしょう。
感謝すべき人格じゃない、感謝したくない、とあなたが思っている。そしてそれは親があなたにしてきた結果なのですから。
もちろん、感謝しないまま、自分のメリットになるからと考えたいのであれば贈り物をしてもいいですし、
その場合も、気持ちがこもっていないからと罪悪感を抱かなくてOKです。
そして、いつかあなたが親に心から感謝したいと思った時が来たとしたら、それもまた、どうするかはあなたの自由なのです。
もちろん一生そういう時が来なかったとしても、あなたは悪くありません。